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ひるがの大日開拓団の足跡
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昭和初期、青少年の修練道場として創られた凌霜塾(郡上市八幡町)は、時流とともに満洲開拓民の教育機関という性格を負うようになった。蛭ケ野(当時/現・郡上市高鷲町ひ­るがの)に置かれた大日道場も、凌霜塾の実践道場としての役目を担った。この大日道場の責任者が福手豊丸さんである。
 昭和20年、終戦。満洲からの引き揚げ者、復員兵、戦災者らが集まり、生きるための開拓が始まった。困苦を極める厳しい生活。しかし、その中でも、子どもたちの未来は守ろ­うとした、再び過ちを繰り返さぬために…。
 昭和57年、集落の中心部、ひるがの白山神社に一つの石碑が建てられた。そこには、当時の開拓団の責任者・辻村徳松氏の遺詠2首が刻まれている。
「耐えがたき 世紀の苦難 乗り越えし その力もて 邑(むら)づくりせん」
「いざ友よ 共に築かん 日留ケ野に 乳と蜜との流るる里を」
鬱蒼とした湿原・蛭ケ野を、日が留る里(日留ケ野)と表した思いは...。乳と蜜との流るる里とは…。
5月、私は石碑の横に立った。子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。校庭で遊ぶ子どもたちの声だ。そう、これこそ、開拓団員が未来への希望を託した大日小学校(現・郡上­市立高鷲北小学校)だ。